火の島の組詩




CI(以下、C)(引用者注・伊藤チヱのこと)が、兄のN(引用者注・伊藤七雄のこと)と一しょに、 東京から花巻へ賢治を訪ねてきたのは、昭和三年の春で、二十一歳のときだったといわれる。 賢治の童話集『注文の多い料理店』を装釘した菊池武雄の紹介で、表面は七雄がこんど伊豆の大島に園芸学校を建てるので、 盛岡高農で学び、花巻農学校でおしえ、いままた羅須地人協会にたてこもって農民指導にうちこんでいる賢治の指導力と 人物とを見込んでの話だったと思われるが、実際はこの兄妹の目的は、賢治をCの結婚相手とみなし、 ひそかに賢治に会ってみることにあった。こういう例はないことではなくて、むしろ世間にはままあることかもしれないが、 あとでそれと知らされて、何かペテンにでもかけられたように思い、心証を害(そこ)ねたりする場合がないでもない。 賢治の場合、そういうことは全然なかったように思われる。 (略) だがCが賢治を訪ねて花巻へきたこと、賢治がC兄妹の招きに応じて大島へいったことー 普通ならばだいたいこの辺の動きで断念し、おとなしく身をひきそうなものだが、 聖女のさました人(引用者注・高瀬露を指している)は逆だったらしい。 相手のCは、自分のように働いて食べるのが精いっぱいだという職業婦人ではなくて、 名も富も兼ねそなえた恵まれた美しい女性であるということがシャクだった。 それにもまして、賢治がCに奔ったのは、どっちがトクかを秤にかけて、打算からやったことだと邪推し、 恋に破れた逆恨みから、あることないこと賢治の悪口をいいふらして歩くという、最悪の状態に陥ったのだと考えられる。 あれほど温厚で、人のためなら自己犠牲も辞さなかった賢治が、冤を雪ぐ、というほど大げさなものではなかったにせよ、 わざわざ関登久也の家まで出かけてこの件に触れたのは、よくよく腹にすえかねたからだったと思われる。 彼女は不純な女だと傍人に漏らしたというのも、こんな事情に由るものだったに相違ない。

[儀府成一・芸術生活社「宮沢賢治 ●その愛と性」P267〜P270より・1972年]