高雅な和服姿の“愛人”




それは、紅葉がほんとうに美しい、この秋一番という好天の日だった。 何軒か、老杉と紅葉する大樹の混こう林の中に、大きな農家が何軒かあった。 羅須地人協会が旧盆に開かれたその年の秋の一日であった。 そこへ行くみちで、私はひとりの若い美しい女の人に会った。 その人は、そのころからはやり出した、もみじ色の、はでではあるが高雅な気分のある和服姿であった。 その着物と同じように、ぱっと上気した顔いろに、私はびっくりした。 少し前まで興奮した「時間」があったのだなと私は思った。 大正十四年夏、この協会ができた時、お訪ねしたいと手紙を出すと、 今はとても忙しいから、秋においでなさいと返事があった。 駄(だ)客、閑客の類だから、ヒマになったらおいで、ということだと、素直に受け取った。 きょうが初めての未知の家への途上で、ばったりと、この女人に会ったのである。 二階建てのりっぱな別荘が、向こうに現れ、二階に動く人影があった。 近づくと、声が降ってきて、主は賢治その人だった。 前のように白くはなくて、小麦色になった笑顔だった。 二階のガラス戸を、しきりに音させてあけている。 二階と下とで「女の人と、いま会ったんでしょう」「ハア、すぐそこで」 「女くさくていかんのです。川風に吹きはらわせています」などと、会話した。 この女の人が、ずっと後年結婚して、何人もの子持ちになってから会って、色々の話を聞き、本に書いた。 この人の娘さんが、亡き母の知人に「古い日記に母が『宮沢賢治は、私の愛人』と書いております」と話したという。 これを耳にして、古い記憶にあざやかな、若い時のこの女人の顔と、 中年もすぎ、生活とたたかい、りっぱに子を育てた年輪のある顔とが、 どうしても重ね合わせられなかったことを思い出していた。

[森荘已池・熊谷印刷出版部「ふれあいの人々 宮沢賢治」P17より・1980年]