カレー・ライスを固辞




宮沢賢治の伝記映画を作ることになったら、もっとも生き生きとした画像に表現できるのは、 羅須地人協会時代であろう。 女人関係となったら、「T女登場」になろう。 T女が、紅葉のように上気して帰った次の日のこと。 私は井戸端で顔を洗おうとしていた。 水を汲(く)んだ茶腕(わん・ママ)に、賢治がパラリと入れたものがある。 それは青い松の葉の数本であった。水に浮いて、底に影を落とした。 「女の人が来たでしょう。あなたが、とまったでしょう。 女の人が、とまったことになるんです。」 ぬき足、さし足忍んで、のぞきに来る人もあるのだと、暗黙のうちに私は知った。 町の知識人を排除する農村共同体の心理が、このような現れ方をするのである。 賢治は、二階で毛布にくるまって寝たらしい。 ふとんは、多分二組あったと思うのだが、一組はT女に、お礼にやったと、のちに知った。 ところが、お礼に何もやるものがないので、ふとんをやったものだったらしいが、 もらったT女の方は、そうは考えなかったのだ。 もう一つT女の話が残っているのである。 遠くから来た協会員もあったらしくて、会員が数人、にぎやかになったことであった。 もちろん、近所の会員も、あったことだと思うが、T女が台所でことこと働いていることに 誰(だれ)も気が付かなかったらしい。 お昼になった。T女が、いつの間に作ったのか、いいにおいのするカレー・ライスが、 つぎつぎ運ばれて、「めしあがって下さい」と、T女が、はればれした顔で言った。 みんな、たいへんな御馳走にびっくりしたが、ぶぜんとした賢治は、 「私は食べる資格がありませんから」とT女がいくらすすめても手をつけなかった。 T女は、別室に立ち去り、俄(にわか)にオルガンをいきおいよくひき出して、やめようとしなかった。 ここにやって来ていた教え子には、遠くから来た人もあった。 この人は、およめさんだナ、と思った人もあっただろうが、考えすごしというわけにはゆかない「情況」だったろう。

[森荘已池・熊谷印刷出版部「ふれあいの人々 宮沢賢治」P20より・1980年]