賢治に結婚話 親せきの日記に記述




歌人で宮沢賢治の親せきに当たる関徳弥(1899−1957年)が、生涯独身を通した賢治の結婚話について記した日記が見つかった。 日記を入手した北上市花園町の古書店経営、高橋征穂(まさお)さん(61)が28日、発表した。 関が1930(昭和5)年に書いたとみられる日記に、羅須地人協会の唯一の女性会員で小学校教諭の高瀬露との結婚話の記述があった。 盛岡市の賢治研究家、牧野立雄さん(54)は「(賢治が亡くなる3年前の)昭和5年まで、露との間に結婚話が続いていたことを示す証拠」としている。 賢治の結婚話は、市販の短歌日記(昭和5年用)に書かれていた。日記に署名などはなかったが、 中に昭和6年度版の「年刊歌集」(日本歌人協会編)に収録されている関の短歌が1首つづられており、関の日記と考えられる。 賢治と露について触れた文章は2カ所。昭和5年10月4日の欄に 「夜、高瀬露子(露のこと)氏来宅の際、母来り怒る。露子氏宮沢氏との結婚話。女といふのははかなきもの也」、 2日後の6日の欄に「高瀬つゆ子氏来り、宮沢氏より貰ひし書籍といふを頼みゆく」とあった。 4日の記述は「露が関を訪ねた際、関の義母ヤス(賢治の叔母に当たる)が来て怒った」というもの。 賢治の親族が、露のことをよく思っていなかったことが背景にあると推測される。 6日の「露が来て賢治からもらった本を預けて行った」との記述について、 牧野さんは「2人の関係が断たれたことを意味するのではないか」としている。 日記は今月初め、花巻市内の個人から高橋さんに持ち込まれた。 内容を確認した牧野さんは「賢治と露の間に具体的な結婚話があったことを示す同時代の貴重な資料。 賢治の恋愛や結婚について見直すきっかけにもなりそうだ」と話している。

[岩手日報ウェブサイト「岩手日報と啄木・賢治」コーナーより(ページのアーカイヴ)・2003年7月29日]